2024年12月6日
皆様こんにちは!
青森浪打校 教務の直井です。
高校現代文の連載記事も5作目となりました。
前回の話は▶こちら
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「タケル君、絶対カナコのこと好きだって!そうに決まってる!」
カナコは「そうかな~?」といいながらもまんざらでもない様子で、
毎日タケル君のことを考える夜を過ごすうちに、想いが昂ぶりついに告白を決意。
文化祭の前日、思い切ってタケル君に告白するも、「俺、好きな人いるから…」と見事玉砕。
悲しみに明け暮れ、勉強に身が入らず、
なんとなくKAKEKYO浪打のホームページを見ていたら、
ここにたどり着く…
なんてことはないだろうが、友人が言う「絶対」っていったい何だったのか?
「絶対」とは他との関係や比較なしに成り立つことをいう。
その対義語になる「相対」は他の関係や比較の上に成り立つことをいう。
野球の弱小チームと強豪チームがある大会に出場。
どちらも「ベスト4」の結果を残した。
万年1回戦敗退の弱小チームにとっては「ベスト4」は「嬉しい」結果だ。
しかし優勝候補の強豪チームには「ベスト4」は「悔しい」結果となる。
「ベスト4」という事実は「絶対的なもの」だが、
それが「嬉しい」のか「悔しい」のかは各々によって違う。
過去の結果と比較して、良いか悪いかを判断しているからだ。
だから「嬉しい」「悔しい」という感情は相対的な感情といえる。
「タケル君がカナコのことを好きだ」と評価した友人は、
小説なりドラマなり実体験なりで知ったことから蓋然的に導いたに過ぎず、
つまり相対化によって得られた結論を「絶対そうだ」と評価してしまっている。
とても危険なことを無意識にしてしまっているのではないだろうか。
こういった「絶対化」による行動原理の決定、即ち「絶対主義」は
中世ヨーロッパのキリスト教的観念など宗教的なものから、
歴史学、芸術、教育、メディアなど、様々な分野にも表れる。
「周りの人がみんな言っているから」「ネットに書いていたから」絶対正しいと
評価することは危険であることはおわかりだろう。
だからこそ、我々は様々な観点から"相対的に"評価していくことが求められる。
しかし、「〇〇ランキング お客様評価1位の商品です!」と言われると、
さぞかし素晴らしいのだろう、と期待してしまうように、
相対評価である集合知がまるで絶対的なもののように機能することもある。
「相対主義が絶対に正しい」という絶対主義に陥る、という倒錯に
我々は強く対峙していかなければならないだろう。
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